作:栗澤嶺(くりさわ たかね)
最近話題の孤独死・孤立死は今に始まった問題ではない。核家族化が進み地域社会が脆弱となっていく過程で、この問題は確実に増えていた。
これは生活保護の地区担当員の活動からその実態を明らかにする衝撃の書である。
ノンフィクションでは書ききれない部分まで、小説として踏み込んだ作品。
<著者プロフィール>
栗澤 嶺 (くりさわ たかね)
1970年生まれ。
淑徳大学・社会福祉学部卒業。
某自治体の職員として従事する傍ら、小説等を執筆。
福祉専門職として長年、ケースワーカー並びに本庁監査担当職員として生活保護行政に携わってきた。現在は知的障碍者施設に勤務する。
第七回湯河原文学賞にて「僕が許した父」が最終候補作品に選ばれる。
本作では生活保護のケースワーカー時代に立ち会った孤独死の実態を克明に記したドキュメンタリータッチで迫る。
✂✂✂✂✂✂✂✂✂✂✂✂✂✂✂✂✂✂✂✂✂✂✂✂✂✂✂✂✂
6月22日正午よりボイジャーの新読書システム「BinBストア」で先行配信!
その他の主要な電書ストアでは6月29日より順次配信スタート予定
価格:450円(税込)
購入は下記の電書ストアから >>
- ConTenDo|コンテン堂
人々はいつから孤独になったのだろう? 核家族化が進み、個人情報保護が叫ばれるようになってから、確実に忘れ去れていく孤独な人たちがいた。彼らの中には人生の表舞台からもドロップアウトした者も多く、暗い過去を引きずっている者も少なくなかった。そんな孤独なひとたちはどこから来て、どのような人生の終焉を迎えるのか?
返信削除そこに果たして尊厳ある死はあるのか? 苔むした無縁仏の墓石の下で生きた証まで抹消され、忘れ去られていく魂がある。
生活保護の地区担当員の活動から、生々しく見つめた孤独死の実態。個人情報保護ならびに守秘義務の観点から似たような事例をミックスし、被保護者ならびにご親族を特定できないように工夫を施してあるものの、ここに記した凄惨な孤独死はすべて実話である。地域社会が脆弱化の一途をたどる今、孤独死・孤立死は他人事ではなくなっている。福祉の目があっても孤独死するケースは多いのだ。
本書は告発書でもなければ専門書でもない。孤独死の実態を克明に綴ったドキュメンタリーである。
これからの孤独死・孤立死問題を考える上で、本書がお役にたてれば幸いであると考えている。
また、一人でも多くの人に孤独死の実態を知っていただきたいと願う次第である。是非、ご購読お願いいたします。
孤独死の問題は今に始まったことではない。生活保護の地区担当員をしていれば、何件かは必ず遭遇すると言われている。
返信削除生活保護の地区担当員の仕事は激務だ。市役所では税務担当と並んで不人気職場ワースト3の中に必ずと言っていいほど入るものである。その理由はいつまで経っても先が見えず終わらない業務、クレームの多さなどが挙げられるが、それらのことから職員が心身ともに疲れ果ててしまうからである。
そんな中で孤独死をしやすい高齢単身世帯は比較的支援の目標が立てやすく、言い方に語弊があるかもしれないが、地区担当員にとっては「息抜き」的存在になっているケースも多々ある。よって介護給付が入っていなければ電話連絡等で安否を確認し、決められた訪問格付けでの家庭訪問もおろそかになりがちである。ここに落とし穴があるのだ。一見元気に見える高齢者でも持病の一つや二つは抱えているものである。例えば高血圧症であれば、脳卒中のリスクは格段に高くなる。昨日元気でも、今日も元気という保証はどこにもないのだ。
更に生活保護を受給している高齢単身者のほとんどが暗い過去を背負っている。ある者は身内に借金を押し付けて夜逃げしたり、ある者は酒に溺れて身内から見捨てられたり等々である。つまり、いざという時、被保護者は孤独なケースがほとんどなのである。
昨今、マスコミ等が孤立死や孤独死の問題を盛んに取り上げているが、このような人たちが亡くなる場合、孤独死となる事例が多い。福祉事務所が関わっているから孤立死とは言えないかもしれないが、それでも網の目からこぼれる孤独死の問題はなくならない。
最近は生活保護のことを「ナマポ」と称し、卑下する傾向がある。しかし、多くの被保護者が困窮に喘いでいるのだ。一部の不正受給をしている輩のせいで生活保護への批判の目は厳しくなっている。厚生労働省はそれをいいことに「適正化」という締め付けを行い、現場レベルでは「水際作戦」(保護の申請をさせずに相談だけで追い返す)が行われているのだ。
現在の高齢者の中には「生活保護を受けるのは恥だ」と思っている人が少なからずいる。つまり僅かな年金や預貯金を遣り繰りして困窮に喘いでいる高齢者はかなり多いということである。そんな彼らが社会的接点もなく、家の中で亡くなれば、すなわち孤立死だ。
本書は福祉事務所が関わっている事例でしかないが、それが氷山の一角であることがお判りいただけたかと思う。孤立死・孤独死は今日もどこかで確実に存在している。