キャバレーやナイトクラブにはバンドが入り、ダンスフロアがあり、夜の社交場として華やかな時代があった。キャバレーやナイトクラブを舞台に活躍していた一人のバンドマン洋三と彼を取り巻く女たちを通して垣間見る昭和の夜の世界を綴った男と女の本音の物語。
価格:525円(税込)
購入は下記の電書ストアから >>
- BookLive!
- Reader™ Store|ソニー
- 紀伊國屋BookWeb
- LISMO Book Store|au by KDDI
- BookPlace|東芝
- Voyager Store
- セブンネットショッピング
- 楽天 Raboo
- ConTenDo|コンテン堂
【著者から】
『バンドマン物語』の時代
<第一回>
私が初めてバンドマンの世界に足を踏み入れたのが「王子駅前女の世界」というキャバレーでした。まだ大学生でバイトでした。それでも入ってすぐに藤圭子、淡谷のり子と言った蒼々たる歌手の伴奏が待っていました。
昭和40年代も後半に入るとピンサロと区別ができないくらいえげつない場所になってしまいましたが、元々のキャバレーはムーランルージュやリドをお手本にした「大人の社交場」だったんです。もちろん客はホステスを口説こうと夢中でした。
男が「きちんと」女を口説く、たとえそれが一夜の戯れであっても、お互いに節度を守った駆け引きがそこにはありました。それはある意味、格式高い遊郭に通じるところがあったのかも知れません。
<第二回>
バンドマンは確かにもてました。据え膳を超えた逆ナンパも経験しました。その辺は「バンドマン物語」の「乳飲み子を負ぶった女」に書かれています。バンドマンはもてることを周りの女達が知っている。だからもてると言うのが実態です。
イケメンである必要はありません。実際問題、私は決してイケメンではありません。この辺の女心が想像できると落ちる女と落ちない女が見えて来ます。バンドマンになる前の私は必死で惚れた女を口説き、玉砕の連続でした。
女っ気のない男はもてない。これがバンドマンになって身の回りに女の影が付きまとうようになって実感したことです。「バンドマン物語」の世界は私小説ではありませんが、組み合わさったモザイクの一つ一つは実体験に基づいています。
<第三回>
昭和20年~40年代には全国各地に米軍キャンプがありました。赤坂山王ホテルも米軍に接収されていました。これらの米軍施設が日本にジャズという新しい文化を半強制的にもたらしました。
なぜバンドマンは羽振りが良かったのか?
それはアメリカの方針でジャズという文化を日本に根付かせるため、本国と同等のギャラを保証したことによります。戦後間もなくは一晩のギャラがトランク一杯の紙幣だったそうです。
米軍の将校クラブには家族サービスの「ビンゴナイト」がありました。カードは1枚1ドルで、当てれば賞金が出ます。四隅に始まり、ストレート(これが日本のビンゴ)、L、Xと進んで最後はカバーオール。
カバーオールとは文字通り全部のマスを埋め尽くすラストイベントで賞金は300ドルでした。これが始まるとホールはシーンと静まりかえります。なぜならリーチなんてありません。達成した瞬間に一瞬でも早く叫んだ人が勝ちなんです。
みんな何枚も買ってテーブルに並べて聞き逃すまいと必死でした。1ドル360円の時代ですから300ドルは10万円以上。大卒初任給が1万円以下の時代ですから大金でした。
<第四回>
東京周辺の殆ど全ての米軍キャンプで仕事をしました。そこでは決して差別的な扱いは受けませんでした。本国に比べたら明らかに劣るレベルの演奏でも、観客は皆思い切り楽しみ、喜んでくれました。
座間の野戦病院ではベトナムで負傷した兵隊が治療を受けており、治るとまたベトナムに送られていました。1年後に楽屋に顔を出したその兵隊と抱き合って再会を喜びました。
私たち日本人には遠い世界の出来事だったベトナム戦争でしたが、仲良くなった兵士との別れ、そして再開という形でそれが現実のものとして突き付けられました。これらの経験が「戦争とは命のやりとり」だと教えてくれました。
とは言っても「バンドマン物語」はこんな時代背景の中で繰り広げられた男と女の世界が切り口ですので、堅い話はあまり出て来ません。また、1960年代は謝国権の「性生活の知恵」が話題になった頃で、今とは性風俗もかなり違います。
<第五回>
「乳飲み子を負ぶった女」に登場する沢田美司子、実は沢村美司子さん。かのジュディ・ガーランドとも共演( http://t.co/InbfrHM )したすごい人です。私は帝国ホテルで伴奏させて頂きました。沢村美司子さん、2008年にご自宅でお亡くなりになりました。享年66。まだまだ歌い続けて頂きたい人でした。
レストランシアターインペリアルでの沢村美司子さんのショーは小松みどりさんとの共演でした。正月公演だったのですが、小松みどりさんの部は身売りと殺し。こんなんでいいのか? と思っていたら中日で総入れ替えになりました。
<第六回>
ドサ回りのドサ、恐らく芸人用語で佐渡を逆さまにした言葉だと思います。
私の初めてのドサ回りが小松みどりさんの瀬戸内海島巡りでした。大三島に始まって小豆島まで。真夏の瀬戸内海はうだるような暑さでした。
キャバレーやダンスホール、ナイトクラブなど決まった場所での演奏は「箱」、ドサや米軍キャンプ回りは「拾い」と呼ばれていました。グランドキャバレーやダンスホールには20人以上のフルバンドが入ってました。
昭和30~40年代には最低でも1000人以上のバンドマンが東京近辺をウロウロしていたのだと思います。キャバレーやナイトクラブだけでなく、レストランシアターやライブハウスも賑わっていました。
<第七回>
バンドマンの活躍の場として忘れてはならないのがストリップ劇場。日劇ミュージックホールでは三島由紀夫が脚本を書き、トニー谷、関敬六、E・H・エリックなどがコントを演じていた。
あき竹城も日劇ミュージックホール出身である。浅草ロック座も有名で、数多くのタレントを輩出した。これらの正統派ストリップは「特出し」で有名になった一条さゆりとは対照的な内容だった。
真偽のほどは分からないが、アメリカでもジャズミュージシャンのジャッキーマクリーンがストリップ小屋で吹いていたという噂もある。確かに彼のサックスは悩ましい音色である。
<第八回>
音楽家とバンドマン、出身も扱いも月とすっぽんですが、唯一テレビ局や録音スタジオでは対等の立場になります。ここでぶつかるのが音出しのタイミング。クラシックでは指揮棒よりも遅れ目に音が立ち上がります。
一方のバンドマンはほぼ横一線のビッグバンドに慣れているので指揮棒が振り下ろされたジャストタイミングで音を出します。バイオリンはトランペットに「早い」、トランペットはバイオリンに「遅い」と文句を言います。
余りにもバイオリンがしつこいので切れた陸軍戸山学校軍楽隊出身のトランペッター乾さん。「こちとら生身の身体で音出してるんじゃ。あてがって擦りゃあ音が出るような柔な楽器とは違うわい」と一喝しました。
この乾さん、題名の無い音楽会に「乾伍長」の名前で「軍隊ラッパのお稽古」に出演されました。録音スタジオでは遅れて来た東北出身の某歌手を「ばかもん、立っとれ」と怒鳴りつけ、暫くスタジオに入れませんでした。
<第九回>
昭和30年代から40年代のライブハウスやレストランシアターの楽屋にはどこで調べたのか電話がよく掛かって来ました。その殆どが逆ナンパでした。誘いに応じて逢うかどうかはある意味賭でした。
なぜなら、向こうはこちらの顔をしっかり見ていますが、私の方からはどんな相手なのかが全く分かりません。しゃべり方や声のトーンで想像するしかありません。それでも好みを除けば並以上だったと思います。
そんな中の一人が「乳飲み子を負ぶった女」に出て来ます。タイトルから想像できると思いますが、事実は小説より奇なりとはまさにこのことでした。
<第十回>
バンドマンにはしばしば据え膳が差し出されます。中には「ごめんなさい」と逃げた相手もいましたが、美味しく頂いたこともありました。ただ、どちらも「これは仮初(かりそ)め」という暗黙の了解がありました。
40年以上前の女性達も今以上に積極的でした。と言うよりも男と女の関係を決めるのは女性の気持ち一つで、男はその「お釈迦様の手のひら」で泳がされている孫悟空に過ぎません。
相手が口説かせる気持ちになってくれたなら、遠慮無く、有無を言わせず、ストレートに行き着くところまで行ってしまうのが男の役目です。押すべきところを押さず、押してはいけないところでごり押しする。失敗の原因はそこにあります。
<第十一回>
女にとっての男は二種類しかありません。もしかしたら抱かれてもいい相手と金輪際抱かれたくない相手の二種類です。夜の世界では悲しいほどにその区別がハッキリしていました。
女が口説かせる隙を見せてくれた時、それに気が付かなかったり無視したりすると二度目はありません。「鈍感、意気地無し。何でまともに口説いてくれないの」立ち読みの第1話ラストをご覧下さい。
男と女の関係で注意すべきは、身体だけの関係必ずしも非ならず、と言うことです。実は女の方が腐れ縁を嫌う場合も多く、仮初めの関係を結ぶ女全てがふしだらとは限りません。最近はむしろ男の方が縋り付く傾向が強いようです。
男と女の関係、打算が働けば働くほど道徳に適い、情に傾けば傾くほどふしだらとなじられます。夜の女達の打算は一般人とはまた別のところにありますので、抱かれるかどうかは純粋に気持ちが動くかどうかにかかっています。
<第十二回>
「恋をしなさい。命すら要らないくらいの激しい恋を」ラテンの女王あい御影さんがお弟子さんの女性シンガーに言ったことばです。ご本人も旦那さんを泣きながら捨てた過去があると仰ってました。
この時は歌を取るか旦那さんを取るかという身を切られるような葛藤だったそうです。
あい御影さんが歌われるのはラテンですが、決してスペイン語で煙に巻くようなことはありません。できる限り日本語に訳し、どうしてもできない時は間奏やイントロで歌の世界を描いて聞かせるんです。
実は「ククルククパロマ」の「パロマ」を本来のLではなくRの巻き舌でどぎつく歌った男の歌手がいました。御影さんが眉をひそめて「あれ、Lなら鳩だけど、Rじゃお○○こになっちゃうのよ。日本の恥さらし、この上無いわ」。
あい御影さん、確かクォーターだったと聞きましたが、実際に日本人離れしています。その御影さん、花の押し売り娘がしつこいのでスペイン人になって「アブラ、アブラ・エスパニョル?」とぶつけました。アブラは話すという意味です。すると花売り娘「油やおまへん花や」 御影さん、笑いを堪えるのにお腹が痛くて涙が出たとのことでした。
<第十三回>
夜の女、水商売の女と言うと誰とでも簡単に寝ると思われがちですが、実際にそんなことをしたら本業の商売が成り立たなくなります。また、客の誰かと親しくなることに関しても慎重にならざるを得ません。
その辺は男の方に責任があります。美人ママやナンバーワンホステスと一夜を共にした場合、俺の女だみたいな態度を取る男が大半だからです。これでは他の客が離れてしまいます。
言い方は悪いですが簡単にものになる女は夜の世界にどっぷりとはまり込んでいない、どちらかと言うと覚悟が決まっていないセミプロが殆どです。旦那もしくはパトロン候補以外に身を任せる夜の女は滅多にいません。
その辺は男の本心、狡さをしっかり見抜いているので、生半可な覚悟じゃ太刀打ちできません。中途半端な浮気で手を出すと命のやり取りになることだってあるのです。
もちろん、男の方は浮気だという予防線は張っているのでしょうが、それでも女が本気になると見境が無くなります。この辺は相手が素人の浮気や不倫にも通じるものがあるでしょう。むしろ素人の方が後先を考えられないかも知れません。
相手が水商売の女の場合、口説き落とすのも難しいですが、むしろ後で切る方が何倍も大変です。なかなか落ちない女が落ちたのですから、相手もよほどの覚悟をつけているんです。
<第十四回>
キャバレーやナイトクラブの場合、本来は御法度の仲間内が手を出すことが多いんです。殆どの店でそこのマネージャーがナンバーワンに手を付けています。ナンバーワンはお客さんは勿論、仲間内でも滅多な相手には手が出せません。
ナンバーワンを争うような女にはそれだけライバルも多く、もしそんな相手に情事がばれれば即追い落とされるからです。その点マネージャーは別格で、他の関係者も分かってて目をつぶるしかありません。
私がいた殆どの店でマネージャーとナンバーワン(またはツー)ホステスの関係は公然の秘密でした。
微妙なのがクラブ歌手と呼ばれる女達です。彼女らはホステスではないので店の商品ではありません。その代わり保証と呼ばれる最低日給も無いのです。収入は客からのチップだけ。それで実質ホステスと同じ接客を強いられてました。
バンドマン物語はオムニバス形式の短編集です。その中の「恋時雨」にそんな女の一人が登場します。クラブ歌手は衣装や伴奏の譜面も自前で殆ど給料は無し。仲間内の御法度も曖昧なので狙われることが多い哀れな女達でした。
0 件のコメント:
コメントを投稿